光陰者百代之過客ナリ
前略
大変ご無沙汰しております。いつの間にか真夏の暑さを迎えていますが、いかがお過ごしでしょうか。
というか、気が付けば今年も半分終わろうとしていますね。びっくりするくらい、毎年一日の加速度が上がっているのは私だけでしょうか??(苦笑) 来週には梅雨入りするとかで、屋内で過ごされることが多い季節ですね。片付けしたいけど、片付けにはお掃除が伴いますから、やはりお天気じゃないとする気にならない...ならば、皆さん、やはりネット、インスタグラム、You Tubeやネットフリックス、u-nextなどを観たりが多いでしょうか?私も、時間は無いながらも、ついつい見てしまいますが、気が付けば数分あっという間に経ち、やらないといけないことが沢山残っているのにと毎回慌ててしまいます。特に今は全仏オープンテニスの結果を毎日見ないと気が済まない状況です((笑))個人的には、最後のレジェンドジョコビッチを応援してしまいます!
でも、私はここ数年、ネットよりもやはり読書が好きなことに気づき、もっと時間がある時には、常に新しい小説を探しに行っていました。皆様も、是非梅雨の毎日、ご自宅で読書、活字を読むことを楽しまれててはいかがでしょうか。小説ほど、いつどこでも違う世界に一瞬で行けて、楽しめるものはないと、きっと思われると思います。既に読書好きな方は十分ご存じかと思いますが。ただ、老眼がきつい最近は、私も読書がめっきり減っております...。そんな中、李白の漢文で、”夫れ天地者万物の逆旅にして、光陰者百代の過客なり。しかして浮生は夢のごとく、歓を為すこと幾何ぞ。”というフレーズがあります。訳としては、いったい天地は万物が仮に宿る旅館のようなもので、時間は永遠に休まずにこの天地の間を過ぎて行く旅人のようなものである。そして浮き草のように頼りなく定めのない人生は短くはかない夢のようなものである。時間が永遠の旅人ならば、今現在という時間はほんの仮そめそのものだということを言っています。実はこれ、松尾芭蕉の冒頭部分”月日は百代の過客にして、行きかふ年も亦旅人也”と書いていることと同じことなんです。李白は松尾芭蕉のこのフレーズに影響されて、そのままを使い、改めて人生に対して実感していることを詠んでいるように感じました。”今という時間は、ほんの一瞬なのだ、だからこそ短くはかない人生を出来る限り楽しむべきなのである。”そして、短くはかない人生を惜しむように従兄弟たちと宴を楽しく繰り広げている様を書いています。 春夜宴桃李園序 李白
本当そうですよね。振り返ってみても、先を想ってみても、人生一瞬ですね。何をしようと、何を考えようと。究極、美味しいものを食べて、毎日笑って楽しむ、それが出来たら幸せですよね。悩んでいる暇はない、悔やんでいる暇もない、人生はそれほどまでにはかないものなのだ。ということを松尾芭蕉、李白は詠い、私たちに教えてくれます。
”結局人間も含めて生き物はさあ、原始時代いやその前からずーっと食べるために生きているんよね。特に美味しいものだと最高。食大事だね...。今頃気づいた。”
そう言って、ホタテの握り寿司を頬張った彼女は今日で50歳。
50代へようこそ((笑))。
M.M